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R_OMの日記

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1ヶ月でフォースは覚醒できるのか ③

続いて評判の悪いプリクエル3部作を鑑賞。公開当時プリクエルにあまり惹かれなかった理由はそのルックの悪さにあって、オリジナル3部作が爆発的人気を誇った大きな理由として特撮的質感や独創的なルックにあったのに対して、CGによるツルっとした質感で凡庸なプリクエル3部作のルックの悪さは致命的。今回初めてちゃんと観ましたが、その悪印象が覆るようなことはありませんでしたね。ただ、だからと言ってプリクエルが巷間言われるほど悪い作品かと言われれば、そこまでボロクソに叩かれるほど悪くないのではないか、というのが私の感想です。

 

SWファンから忌み嫌われているジャー・ジャー・ビンクスですら、そんなに嫌いになれないというか。確かにジャー・ジャーは死ぬほどイラつくキャラですが、人種(異星人やドロイドまで含め)、性別分け隔てなく共に暮らす「共和」を理想に掲げるSWの世界では「ジャー・ジャー・ビンクスのようなやつとでも手を取り合って平和な世界を築いていかねばならない」というのはSW世界の創造主ジョージ・ルーカスによる託宣であるのだから、真のSWファンであることを自認するならば、むしろ率先してジャー・ジャーを擁護すべきなのではないかと思うのですが、それでも多くのSWファンがそれを拒否しているということはなかなか興味深いポイントでもあります。

 

そのあたりのファンとルーカスの対立構造はドキュメンタリー映画『ピープル vs ジョージ・ルーカス』で確認できますが、やはりプリクエルの問題(ミディ=クロリアンの存在などもありますが…)はルーカス自身の存在が作品の中で前景化してしまったことにあるのは明白です。ですが、私がプリクエルに対して比較的肯定的な立場をとる理由は、作品に蔓延するそのルーカスの作家としての切実なる承認欲求を否定することができないことにあります。オリジナルは連続活劇を意識して作ったものなのだから、子供向け映画といった批判がどうであろうと大ヒットした時点である程度目標は達成できたはずなのですが、やっぱりドラマとしてクオリティの高いものをつくって認められたいという作家としての欲求は抑えきれなかったのでしょう。権威的な父との確執から自身をルーク・スカイウォーカーに重ねていたオリジナルから、自身がダース・ベイダー化していく様とアナキン・スカイウォーカーがダーク・サイドに堕ちていく様を重ね合わせたプリクエルへという流れに関しては散々語り尽くされていることでしょうが、プリクエルを観ていると単純にルーカスはそういった神話的モチーフを援用した重厚なドラマが作れることを証明して世間に認められたかったのだという風にしか見えませんでした。そのことは、自分の実力を周りが認めてくれないことに対するアナキンの苛立ちが、アナキン自身をダークサイドに傾かせる大きな理由であることからも窺い知ることができます。私はそういう作家自身が抱える病と向き合う作品が好きなので、プリクエルに対して肯定的な立場をとってしまいますが、これは批判や揶揄でもなく、そんなことは多くのSWファンにとってはどうでもいいことなのでしょう。このことはジャー・ジャーの件と同じように、SWの魅力の本質を知る手がかりになる要素のひとつだと思います。

 

私はこの時点で「SWとして1番面白いのはEP6、映画として1番面白いのはEP3」だと思っていました。ルーカスはプリクエルの制作で自身の願いをある程度叶えたとも言えるし、SWファンの存在を軽視した姿勢に取り返しのつかない大きな失敗を犯したとも言えて、このアンビバレントな要素が入り混じった様がプリクエル独自の味わいを醸し出しているように思います。私はプリクエル、嫌いじゃないですね。

 

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